『雲蟲一茶』とは、雲蟲と一茶(小林一茶のことです)が合わさったイメージです。
では『雲蟲』とは何か?と思われるのは当然のことですね。
簡単に言えば雲蟲とは、わたしが生み出した擬人化した虫のオブジェのことです。

2011年の頃だったと思いますが、わたしは生物の起源とは何だろう、という疑問に取り付かれていました。
動物・植物に関わらず、その「かたち」を探っていました。
 
蝶や蛾の幼虫が蛹(さなぎ)という過程を経て、見事な羽根を持った生き物に変身する姿に感動し、また、ジガバチ(蜂の種類)のように自分の卵を他の幼虫(アオムシなど)の横腹に1卵を産み付け、卵は他の幼虫の体内で孵化して、幼虫の肉を餌に大きく育っていきます。

その間、母体となっている幼虫は麻酔を掛けられて、死んではないため決して腐っていかない、という話にとても驚いたことを覚えています。

わたしの創る運蟲も卵から孵(かえ)ったばかりの幼虫の姿をしています。
そして、その幼虫がいつの日にか、何に変身するのかは解りませんが、期待しているわたしの姿は、幼い子供の気持ちと同じなのかも知れません。

もう一つのわたし関心は、小林一茶という江戸時代後期の俳人のことです。
一茶の俳句にも当然のことながら関心はありますが、それ以上に彼の生き様(ざま)に心を動かされるものがあります。彼は強い!とても強いと思います。

わたしは大阪生まれですが、どう言う訳か流れ流れて信濃町に流れ着きました。
信濃町といえば小林一茶の誕生地。
当時はそんなことは知りもしませんでしたが、振り返ってみますと、とても運命的な出合いだったような気がします。

小林一茶は、人によって関心事はいろいろあるかと思いますが、わたしは3人もの子供の死、そして最愛の妻「菊」の死です。

人の「死」に出くわすのはとても辛いことです。
一人の死でも立ち直るのに長い時間が必要なのに、それが愛する家族4人もです。
わたしだったら、「何という運命なのか!、絶対に神に見放されている!」ときっと運命を呪い、立ち直れなかったことでしょう。

そして晩年は、信濃町で発生した大火によって家から焼け出され、生き場を失い、辿り着いた薄暗い土蔵で、ついにその一生を終えてしまったのです。

蝶や蛾として羽ばたくことなく、火にあぶり出された一匹の蟲・・・

ある時、一茶の俳画を見ていました。
自画像だと思うのですが、坊主の一茶が描かれていました。
「これは一茶ではなく、雲蟲ではないか!」という思いになりました。

それ以来、一茶の俳句の風景がそのまま雲蟲の風景に替わってしまったのです。
そして、一茶からのイマジネーションと、雲蟲のイマジネーションが一体となった新たなイマジネーションが、わたしの作品づくりの元となった訳です。